
デ・サンデ天正遣欧使節記(新異国叢書 5) 雄松堂 1979 初1969
日本の天正10年(1582)、九州のキリシタン大名家の使節として4人の少年がロ
ーマに向けて旅立った。彼らがヨーロッパに向けて出立した後、キリシタン擁護の立
場をとっていた信長が明智光秀に討たれた。信長の後継者にのし上がった豊臣秀吉の
政策によって日本のキリスト教徒は受難の時代に入っていった。無事ローマ訪問を終
えた使節一行が帰国した時には国情は一変していたのである。使節はポルトガルの宣
教師が日本に向かった航路を逆にたどって中国沿岸からインドを経てヨーロッパに達
し、当時の世界帝国であったポルトガル・スペインの首都で歓迎を受け、やがてロー
マに入る。ローマでは教皇をはじめ市民の最高級の歓迎を受ける。ヴェネチアやミラ
ノなど著名な都市を訪問してそこでも極東の貴公子の面目を施している。この本は1
590年マカオのイエズス会の機関によって出版された。原書はラテン語で綴られて
おり、当時日本の信徒や有力な支持者などのために日本語に翻訳する努力もなされた
けれども、刊行にいたらなかった。日本語訳が実現するのは実に450年後の昭和時
代に入ってからであった。全文が対話体の構成で帰国した使節たちが周囲の人たちの
質問にその見聞したことをいちいち答えるという形をとっている。
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