使徒行伝 上(現代新約註解全書)  荒井 献      新教出版社 1977                   使徒行伝、この呼称は何やら古めかしいひびきがある。最近の新しい翻訳で出た聖  書では使徒言行録またはもっと簡略に使徒行録としてあるものもある。もっと分かり  やすいと思うのは「初代教会の働き」と呼んでいるものである。師であるイエスが十       字架上で死を遂げると使徒と呼ばれるキリストの弟子たちが活動を開始する。もっと       も、彼らとてやはり予期しない出来事に遭遇して一時は茫然自失の状態にあったので       あるが、いわゆる聖霊の火を浴びることによって真の信仰に目覚めるのである。使徒       行伝は主としてキリストの直弟子であるペテロの行跡とキリスト死後の弟子ともいう       べきパウロの事績とを中心に初期キリスト教会の活動が述べられている。
 

  46,47節 「また、日毎に一致して神殿参りに熱心であり、家々ではパンをさき、喜    びとまごころをもって食事を共にし、/神を讃美して、すべての民に好意を持たれ    ていた」。すでに指摘したように、「一致して」は原始教会の理想的一致を示すも    のとして、また「熱心に……した」はその理想的敬虔を示すものとして、ルカが好    んで用いる用語である。同様に、「日毎に」もルカ的表現の一つと思われる。とす    れば、信徒「一同」が「神殿参りに」――文字通りには「神殿に」――熱心であっ    た、ということも、エルサレム教会によせたルカの理念ではないかという予想が立    てられる。そして、実際行伝においてエルサレム教会は神殿と結びついた存在なの    である。こうして、42節の「使徒たちの教え、交わり、パンさき、祈り」は「神殿」   に結びつけられて、エルサレム教会の中でユダヤ教の本来の理想が実現されたとい    うルカの主張が完全なものとなるのである。もっとも、だからといって、原始教会    の敬虔と神殿との結合をルカの創作ととり、それは史実ではなかったとみなす根拠    はない。エルサレム教会が「大迫害」にあっても、いわゆる「ヘレニストたち」以    外はエルサレムにとどまりえたという事実から推して、エルサレム教会の主流がユ    ダヤ教に近かったことも史実のように思われる。とすればルカはこの史実を反映す    る伝承を受けて、これを自らの神学的枠組の中に入れ、信徒たち「全員」が「神殿   参りに熱心であった」という形でそれを理想化したというべきであろう。         他方、彼らはすべて「家々ではパンをさき……食事を共にしていた」と言われる。   この文章の構成――動詞「さく」の分詞形を動詞「共にする」の未完了過去形の主    語の位置に置く――から見ても、ここではルカが「パンさき」を、「食事」を導入    する儀礼的行為とみなしているように思われる。そして、ここでもし、「家々で」    行われた聖餐を意味しているとすれば、聖餐は普通の「食事」と区別されておらず、   ここにもユダヤ教における「食事」の理念がエルサレム教会の聖餐(=愛餐)にお    いて実現されたというルカの主張が示唆されている可能性がある。なお、「喜びと    まごころをもって食事を共にした」という表現から、信徒たちが食事を共にするこ    とによりイエスの復活の喜びにあずかったことを推定することも不可能ではないけ    れども、ここから神の国における聖宴の先取りとしての聖餐における信徒たちの心    の表現をまで読みとることは行き過ぎのように思われる。                         第2章46、47節の註釈から(本文は横組み)