シリーズ 先輩に学ぶ @
平成19年11月6日 若宮中体育館
建築家 川口とし子さん 講演会
11月6日、本校の卒業生で建築家として活躍されている川口とし子さんの講演会を開催いたしました。保護者の皆様方からも多数参加いただき約2時間、220枚のスライドを投影しながらテレビ番組「劇的ビフォーアフター」そのままに最先端の建築のお話をお聞きしました。お話の一部を紹介します。今年度のキャリヤ教育の一環としてこの企画を実現することができました。身近な先輩から職業人としてのものの見方考え方を直接お聞きすることで生徒は進路についてあるいは生き方について深く考える機会になりました。生徒とともに感謝したいと思います。
今日話すこと
こんにちは若宮中学校の皆さん。中学生に話をするのは初めてです。 数十年前私も若宮中学校の生徒でした。今日のお話は建築家という職業(職能)を選んだ理由やきっかけ。仕事の内容や専門分野。自らの人生について。中学時代の思い出などです。
子ども時代と父との思いで
私は三人きょうだいの三番目で自立心の旺盛な子供でした。あまりかまってもらえなかったという記憶が強いのですが、父は私のことをじっと見守ってくれていた大きな存在であったということに最近気づきました。好奇心旺盛なガッツだけが取りえな女の子を一生懸命育ててくれました。父とは意見を言い合うほどの仲ではなかったのですが何となくぶつかってしまう。そんな20代でした。最初に皆さんに父の三つの言葉をお話します。 そのひとつは「実るほど頭を垂らす稲穂かな」大きくなって成長していって大きくなるほど高みから相手を見下ろすのではなくて自分の方から人様に献身するような思いでいること、慢心しないこと。二つ目は「学問には男も女もない」こと。この言葉が文化系でなく理科系を選ばせたと思っています。三つめは「世の中を五円玉の穴から見ているんじゃない」という言葉です。振り返ってみると親の言葉はありがたいものだと気づきました。
建築家への道
中学校のときは知りたがり屋、好奇心旺盛でした。勉強することが好きと言うよりは何か工夫することが好きでした。若宮中学校、三条高校、日大理工学部 大学院にもいきました。その後大きな建築事務所にいきました。自分は組織でないところで自分を試すようになっていきたいとおもいました。その前に数年間勤めた事務所に恩返しをしてからと思いました。そこでがんばって1級建築士の資格をとってさらに一年勤務しました。その後海外に飛び出していくことになりました。当時はクリエイティブな仕事、日本の役に立つ仕事を求めて海外に飛び出していった時代でした。今は中学生でも自分の力を高めたり好奇心を満たしたりするために海外に自由にいくことができますが、長岡のセレクトショップをデザインしたり妙高高原のホテルなどチャンスに恵まれ比較的若い時期に設計に当たる仕事ができたのはこの10年だったかと思います。
デザインの仕事
この写真はなんでしょう。これは水栓金具です。2年前に発表したものです。建築家というと建物や住宅、インテリを考えますがこのような設計の依頼もあります。このデザインのお話をいただいた時にどんなデザインにしようかと一生懸命に考えました。環境問題と人の暮らしの安心安全は一番大きなテーマです。一つの形を考えるにあたっても深く考えます。水を大切にしなければならない。いろいろ考えたあげくに水の結晶を形にしたいという思いがありました。生まれたのがこのつらら水栓です。皆さんと同じように雪国で育ったことから小さい頃見た空から降ってくる雪やつらら が心のどこかに焼き付いていたのです。展示されたときたくさんの方々から感想をもらいました。「作品に水の波紋が写っていましたね。」等々。小さいものをデザインしただけなのにいろいろな感想をいただきました。
職人さんたちに育てられて
建築は完成までに5ヶ月くらいかかります。いろんな業種の方々が集まって作り上げていくのが建築です。私はタンス屋の子供として育ちました。私は分家の子だったのですが夏休みの宿題は50人くらいの職人さんが働いていた工場でやっていました。そんな中で、みんなにからかわれながら育ってきたのが私です。自分の何かが一匹狼的な、友達とつるむのが嫌いな学生時代を過ごしてきたのが自分のスタンスでした。建築家として事務所をかまえた時も組織に所属するのが苦手でした。でも、一つの家造りをする仕事は協力することが大切なことです。職人さんの中で私は自然体になれます。それは自分が職人さんたちに育ててもらってきたことからくるものであり、自分のバックグラウンドといえるものです。このことにも最近気づいたことです。
環境問題に目を向けて
新潟県でも自然についてあるいは環境について考えていかなければならないと思います。自然や環境問題に対して関心を持っていかなければならないという機運がこの十年・二十年急速に高まってきています。私は女性ですのでこのことについてはとても敏感でした。男性の建築家もそういうことに危機意識を持つようになって世の中が急速に変わりました。皆さんもこれから問い続けなければならないテーマは非常に重いものだということを感じ取っていただければと思います。
2050年から現在を見る
2050年から今を見返すことそういう視点が非常に重要です。皆さんの2050年はどうでしょう。そんなに遠い将来ではありません。今の自分や世の中をのことだけを見つめているのではなく2050年に視点を置き私たちは真剣に話し合う必要があると思います。今の皆さんはいろいろな人の話を聞いて何かを感じとれる力が具わっています。人生の中でとても大切な時期を過ごしているんだということを考えて欲しいと思います。
話すことが苦手は私ですが、いろんなところから呼ばれて話す機会をいただいています。今日も喜んで皆さんの前にきました。220枚ものスライドを使った私の話を寒い体育館で一生懸命に見て静かに聞いてくださって本当に本当にありがとうございました。
川口さんの講演を聞いて
1年
若宮中出身の人がテレビで活躍しているなんて若宮中現生徒として大変誇りに思えることです。
この講演会を聞いて人とのコミュニケーションが大切なことや最近はバリヤフリーなどお年寄りに関することも大事だと分かりました。僕も若宮中学校を世界に広げられるような人になりたいです。
シリーズ 先輩に学ぶ A
平成20年4月25日 午後 若宮中学校体育館
講師 東北芸術工科大学美術準教授 番場三雄さん
はじめに
私の生まれは猿毛村で、この若宮中学校で三年間学びいろいろな先生から教えていただき卒業させていただきました。若宮中学校卒業後、好きな絵を描いていました。その後いろいろな人の紹介で今日もお見えになっておられる加茂市の表具屋さん「丸川美術」に入社させていただくことができました。そこで、床の間にかける掛け軸の絵を描いていました。
皆さんは美術の時間に油絵や水彩画など多数の作品を見てきたと思います。私は「院展」に日本画の分野で出品しています。
日本画は「岩絵の具」で描きます
日本画はどんな素材で描かれていると思いますか。皆さんはこれまで水彩画を使って描き作品にしてきたと思いますが、日本画は「岩絵の具」で描きます。岩絵の具は自然石でできています。その辺に散らばっている石ころと思ってもかまいません。ここに、赤い石、青い石、緑の石がありますが貝殻も使います。機械で細かく砕き最後は小麦粉より細かい絵の具の元になります。荒い絵の具は砂状になっています。濃いめの色ほど荒い粒子になります。1番から15番くらいの番数がうってあり1番がもっとも濃い色です。これは「ラピスラズリ」という石です。日本では珍しい石です。細かく砕いてやるときれいな群青色になります。もう一つは「ランドウコウ」という石もきれいな青色がとれます。緑色は「クジャク石・マラカイト」を砕いて絵の具にします。さらに岩絵の具は加熱することよって色を変えていくこともできます。白い色は「ゴフン」を使います。材料は牡蠣などでの貝殻です。貝殻を何十年も風化させると白っぽく変色していきます。それを砕いていって水にさらし、乾かすと白い結晶になります。おひな様の顔に塗る時にも使います昔は鉛箔という鉛の粉と酢を化学反応させてオシロイにしました。日本画ではほとんどは貝殻を生成して時間をかけて絵の具にしていきます。
日本画は和紙に描きます
コウゾという木の皮を剥ぎ煮て繊維を細かくし、「とろろ葵」をいれて紙を何層にもしてつくります。牛乳パックでも紙をつくることができます。絹などの繊維も紙と同じような構造をもっています。紙と繊維は遠いようですが「くず」とか「麻」を採取してきて皮を剥いで煮るとできます。かつて七谷でも紙漉がありました。福井県・岐阜県・山形県でもでも上質な和紙が生産され、三メールとか四メートルの紙もあります。杉の木の板、檜の板も絵を描くベースになります。
岩絵の具を和紙に接着するものが膠です。これは魚からとったものです。「三千本」といいます。元の材料4kgから三千本もとれたことからこの名前が付いています。膠をたくさん使うと割れ、少なすぎると剥がれ落ちます。そういう経験をいっぱい積むことで自分の絵の描き方ができていきます。
最初から日本画家がいたわけではありません
6世紀の中頃、中国から朝鮮半島を通って仏教が伝わって来ました。仏教伝来という内容で学習したと思います。仏教の伝来とともに偉いお坊さん、仏師という仏像をつくったり絵を描いたりする職人さんも一緒に日本に渡って来ました。仏教を広めるために紙が持ち込まれました。同時に紙をすく技術も持ち込まれ、墨も入って来ました。中国に石窟に掘られた仏像があります。いま日本画で使われている絵の具と同じものが彩色に使われています。修復をしながら今でも鮮やかな色が残っています。千年前には色はたくさんありませんでしたが自然石からとった材料に植物の染料を混ぜて使っていました。
室町時代に雪舟という水墨画家がいて、明の船に乗って中国に勉強にいきました。雪舟の帰国後、たくさんの絵師が、金銀箔をふんだんに使い絢爛豪華な障壁画を描きました。江戸時代は鎖国が続きましたが、日本国内は絵画の文化・技術が継承され絵画文化が発展しました。北斎・歌麿など、自分の持ち味を発揮した絵師たちが日本の美術を支えていました。明治時代には油絵が入って来てから後、それまでの日本の絵画を日本画と言うようになりました。
自分の作品について話します
○風景画は今住んでいる山形盆地で二日間ぐらいかけて描いたものです。山が中心ですが、夕日が上る方角と沈む方角を何日かかけて描きつないだものです。絵を描く上で一番大事なものがスケッチです。スケッチが一番楽しみですが、辛いのは描き出しです。どこから描いたらよいか悩むところです。一日座っていても描けないときもあります。一番好きなところから描き始めます。
○動物を描くときは大変です。動くからです。同じ形をしてくれるときもありますが、一匹まるまる捉えるのは至難の業です。つながった絵ができてきません。そのため部分をいっぱいスケッチします。動きの中で様々な「部分」を繰り返してくれるので助かります。大事なことは自分の対象物<モチーフ>を見つめる「気持ちと眼」がとても大事です。もう一つは「もうちょっと辛抱してみよう。」という気持ちです。うまく描く必要は全然ありません。
○これは羽黒山の絵です。国宝の五重塔がとてもきれいです。ひわだ引き檜のうすい板を何層も重ねた屋根で、うっそうとした森の中では「ぼーっ」と白く見えました。いきなりおもしろいなと思って描かないで「何で白いのだろう」と自分に問いかけてみる。見たままをすぐ描くのでなく心の中で「何でいいのだろう」と問うこと。私はそのことを大事にしています。そうしないと作品ができて上がっていくときに大事なものがなくなって形を写してしまうだけになってしまいます。
絵を描くとき一番大事なことは技術ではありません。技術は二番目・三番目です。感動したことは間違いないのですから「モチーフと向き合うこと」「スケッチさせてもらう対象物と話をするような気持ち」が大事です。
○日光の華厳の滝に十二月ころ絵を描きに行ったときは、あまりに寒くて絵の具を溶かす水が凍ってしまうほどでした。そんな中で「寒いけどもうちょっと頑張ってみよう」と思って続けました。そこに現場で絵を描くことの意味があります。
○中国のチベット自治区に何度かスケッチにいきました。日差しが強く青空がきれいでした。空港に降りたとたん青空の近さを感じました。絵を描くのに言葉は必要ありません。現地で一生懸命やっていると人が集まってきます。だれもいないチベット高原でエベレストをスケッチしていた時も知らないうちに人が集まって来ました。きらきらと輝く笑顔から暖かいものをもらって来ました。「文化」を感じました。
○三面川10月ころ 鮭が遡上します。鮭をまっている人たちを描きました。おじいちゃんの動きがなめらかでした。かっこいいんです。
○ネパールで描いた絵です。首都カトマンズは歴史があり彫刻がたくさんあります。この絵は少し高い位置から見ています。いつも真っ正面から見る必要はありません。俯瞰したり、見上げたりします。人の雑踏が描きたくて構図を考えたのものです。夕方ではなかったでのすが夕方っぽくしたり、絵の真ん中を地面にしたりしました。
○山形の上山に住んでいた時、畜産農家の方と友達になり、子牛が生まれたから見にお出でといわれてそこで描いたものです。「緊張感」 「毛足の柔らかさ」 「かわいさ」を描きたかった絵です。牛の目の青さにぴりっとしたものを描こうと意図して赤を入れてみた作品です。
自分の好きなものにしっかり前向きにつきあう。夢は中々かなうものではないのですが一生懸命にやっていることはとてもかっこいいと思います。
絵を描く方法に絶対はありません
前段階がスケッチです。絵をどうまとめるかをいつも考えています。今も車の中に置いてきましたがいつも「はがき大のスケッチブック」を鞄に入れておきます。現地で考えをまとめるときもありますが、大学の授業の合間、ご飯を食べているとき、スケッチの印象を何十枚も描き込んでいきます。それだけで描けるということではありませんが、それをすることで安心感が生まれます。小さいもの、落書きのようなものをいっぱい描いてそれを引き延ばしてみたり、何枚かつくってみたりします。いいものができると画板に貼って縦横の線を引いて何分の一かにつくります。荒い絵の具で地塗りをし、木炭などで下書きをし、墨をつかってなぞります。その後彩色をします。現場にたくさんの画材を持って行って描くことはできませんので、水彩画、写真など素材をいっぱいもってきて、家であぐらをかいて仕上げます。展覧会では違って見えます。
絵を描く方法に絶対はありません。気持ち、見方、考え方、自分の見た印象を描き出すことでその人の絵につながってきます。
夢につなげるために
皆さんは今12・3歳です。とってもいいものを持っていると思います。それを夢につなげるためには一生懸命にいろんな人と話し、「うれしいな」とか「いいな」とかその時のなにげない気持ちを大切にしていくことです。
今日はこんな自分でいいのかと思いながら皆さんに話しました。
自分の持っているいいものに投資することが大切です。みんな宝物を持っていますじっくりゆっくり探してください。
本年度若宮の教育の重点「自己発見・自己開発」の力を高める貴重な学習の場とすることができました。
生徒感想文 1 年
いろいろな方向からみることで違った絵に見えること、たくさん描いて練習してから描くということ、見たままの絵を描くだけでなくて自分で工夫して描いていることが印象に残りました。自分の好きなことから将来の職業につくとき、はじめから成功するわけではなくて、失敗して、そのことを生かして次に挑戦することが大切だと思いました。
シリーズ 先輩に学ぶ B
〜 歌う楽しさとオペラの魅力 〜
オペラ歌手 三浦克次 さん(バス・バリトン)
ピアニスト 高橋典子 さん(ピアノ)
平成20年10月22日
加茂市立若宮中学校 体育館
全校生徒対象の合唱指導<公開レッスン>
10時30分〜12時10分
三浦克次さん・高橋典子さんのミニコンサート
13時45分〜14時30分
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若宮中学校校歌 岡本 敏明
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荒城の月 瀧 廉太郎
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さとうきび畑 寺島 尚彦
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千の風になって 新井 満
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帰れソレントへ デ・クルティス
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もう飛ばないぞこの蝶々
オペラ「フィガロの結婚」より モーツァルト
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闘牛士の歌
オペラ「カルメン」より ビ ゼ ー
生徒の感想文より
一年生
私は三浦さんの合唱指導を受け腹式呼吸で歌を歌うと声が大きくなることを知りました。普段は特に気にしていませんでしたが、意識してみると腹式呼吸をしていないことに気づきました。次の練習からは、歌うときに腹式呼吸をして腹から声を出すことを意識しました。おかげで一年生は優秀賞をとることができました。ありがとうございました。
午後の三浦さんと高橋さんのコンサートもすばらしい歌声とピアノで、とても感動しました。私にとって、今回の合唱指導とミニコンサートは中学校生活の大切な思い出の一つとなりました。
私の直接の先輩で日本はもちろんのこと世界中で活躍されている方がいることを知り、自分も三浦さんのようになりたいと思いました。今回の体験活動を今後の学校生活に役立てていきたいと存じます。
二年生
三浦様の丁寧な指導のおかげで、私たちのクラスはその後大きく進歩し、本番には男子の声が良く響き、結果は優良賞でしたが納得のいく合唱を作り上げることができました。
コンサートでは、お二人の息の合った歌と伴奏に感動しました。声と身振り手振りで表現を豊かにしている三浦様、ピアノでその表現をさらに際だたせている高橋様、どちらも素ばらしく、聴いていてとてもわくわくしました。
私は今回このコンサートを聴いて、そして見て、私もお二人のように周りの人たちを笑顔にすることができる人になりたいと思いました。本当にありがとうございました。
三年生
プロの方に合唱をご指導して頂くのは、私たちにとって、初めての体験でした。しかし、三浦さんのご指導はとても理解しやすく、合唱に生かす事ができました。三浦さんのご指導のおかげで後日行われた合唱コンクールでは、全てのクラスが体育館で歌声を響かせることができました。本当にありがとうございました。ご指導の後のミニコンサートでお聴きした歌声とピアノは、私たちの心の中にいつまでも残っています。
私は既に知っていた曲でも、プロの方々のコンサートでは全く異なった印象を受ける事に驚きました。また、曲に関するお話も興味深いものばかりでした。 「必要のない教科はない」とおいうお話はこれからの生き方で参考になりました。好き嫌いを極力抑えて、勉強や生き方について考えてゆきたいです。
三浦克次さんについて
若宮中学校の昭和47年度卒(第18回卒業生)
現在、オペラ歌手として第一線で活躍している。 (藤原歌劇団員、日本演奏連盟会員、ロッシーニ国際オペラコンソルソ入賞等) 学校への芸術家派遣事業 、千葉市立緑町小学校
、千葉市立扇谷小学校 、上越市立城北中学校
※詳細はホームページhttp://miura.music-web.info/をご覧ください。
高橋典子さんについて
イタリアオペラ、ピアノを専門にし、学校への芸術家派遣事業
では三浦克次さんの伴奏を務めている。
参考資料 平成20年度「学校への芸術家派遣事業」(文化庁事業)
【趣旨】(学校への芸術家派遣事業の応募要領より)
この事業は、児童・生徒が文化芸術活動の楽しさやすばらしさを知る機会を充実するとともに、学校における文化芸術活動の活性化を図るため、優れた活動を行っている芸術家や伝統芸能の保持者などを学校への文化大使として学校に派遣し、講話や実技披露などを行うことによって、豊かな心と感性を育むことを目的としています。
【内容】
小学校、中学校、高等学校等に、その学校が設置されている地域出身の芸術家や伝統技能の保持者などを派遣し、体育館等の学校施設を会場として、児童・生徒や教員、保護者を対象に、文化芸術に関する体験談や地域の誇りなどの講話と簡単な実技披露等を行います。
シリーズ 先輩に学ぶ C
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平成21年9月18日(金)13:30〜15:10
講師 モリデザインワークス 森山 一理 さん
〜 心に描いた夢は必ず実現する 〜
本校卒業生で後日2,3年生が職場体験でお世話になる森山さんからご講演をいただきました。明るいお人柄と親しみやすいお話で生徒たちは、夢を持つことの大切さや働いて収入を得ることの大変さを感じ取ることができました。
3年 女子
何か、自分に「夢」「目標」をもつことによって、明るい未来が切り開かれるかもしれない。
目標を達成するためには、日々努力することが大切だということが分かりました。将来、常に、自分の趣味に没頭したり、特技をいろんな場面で生かすことのできる職業に就けたらとても楽しい人生が待っていると思いました。仕事に就いた時は、どんな仕事でも一生懸命に取り組んで、自分を見てくれる人に好印象をもってもらえるようになりたいと思いました。
3年 男子
マナー講座では、実際に「あいさつ」の練習をするのかと思いましたが、実際そのようなことはなかったので、あまり堅くならずに話を聞くことが出来た。森山さんが最後の方に話されたことは、これからの将来に大切だと思う。最近、毎朝、駅伝の朝練習のために早く学校にいくので、いろんな先生に積極的に挨拶をしたいと思う。それから、自分の趣味、特技も生かし、将来への目標をもち、それが実現できるように、マナーなどを大切にしながら、頑張っていこうと思う。
シリーズ 先輩に学ぶ D
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平成21年11月 5日(木) 8:35〜15:10
講師 ブレイン スタッフ 坪谷 敏郎 さん
〜 人生のバッターボックスで見逃し三振はするな 〜
シリーズ第5回目は経営コンサルタントの坪谷敏郎さんから学年別特別授業および全校講演をいただきました。特別授業は視聴覚室で行いました。二限目は一年生に「母校の思いで」、三限目は二年生に「八百屋さんはいくら儲かったか」、4限目は三年生に「決算書ってなんだろう」をそれぞれテーマに自作テキストを使って授業をやっていただきました。講演では「社会では誰からも独立した形でジャッジする仕事が必要」「クールヘッド、ウオームハート、冷静な頭で熱い心をもってお客様に接することが大切」と語りかけてくださいました。
生徒感想より
3年
自己紹介がすごくおもしろかったです。税理士の方だと聞いていたのでもっと難しいはなしかなと思っていたのに、坪谷さんも明るくおもしろい方だったので楽しく過ごすことができました。4限の授業が楽しかったので、期待していました。4限とはまた違う話が聞けて良かったです。「ゆでがえる」の話とか、聞いていて確かにそうだなと思いました。一番印象に残っているのは、得意分野の人生のバッターボックスで見逃し三振はするなという言葉です。これを最初に見たとき、たぶん自分には無理だなと思いましました。でも、その後の得意分野
でという言葉や坪谷さんの話で頑張って見ようと思いました。だからまず、自分の得意分野を見つけることから始めようと思います。そうしたら後は見逃さないように頑張ります。
3年
決算書は、自分の父がよく家で作っているのを見ていたので、難しそうだというイメージがとても強かったのですが、簡単で分かりやすい図を使った説明のお陰で頭を使うことなく理解できたので聞きやすかった。私は今日、公認会計士という仕事を初めて知りました。相手の気持ちを理解しながらも自分の正義をつらぬき、クールヘッド・ウォームハートで相手の人を納得させるという仕事は、社会でもとても大切なことだと思いました。今日の講演を聴いて私はクールヘッド・ウォームハートという言葉が一番印象に残りました。普通クールヘッドの人なら頑固だったり意、人との付き合い方が悪いイメージを持った人が多いですが、そんな人が相手を思いやりながら適切なメッセージを伝えるウォームハートを持てば誰からも信頼される強力な人になれるというのは私たちも頑張ればできるのではないかという気持ちがしてきました。