ワインのはなし

世界のワインの歴史

 ワイン造りを証明する最も古いものがメソポタミアの先住民のシュメール人が残した約6000年前のものと思われるロール・シール(roll seal ワインの壷などの口を粘土で塞ぎ、その上に刻印をする丸い大理石などの棒)が発見されている。紀元前4000〜5000年頃の出来事を記録している「ギルガメッシュ叙事詩」のなかに、ワインの記述がある。

しかし実際にワインを造り始めたのは、シュメール人の遺跡で発見された土器から8000年程前と推定されています。紀元前3100〜1500年に栄えたエジプト王朝のピラミッドの中の壁画にぶどう栽培やワイン醸造の絵が描かれていたことはよくしられており紀元前1700年頃の「ハンムラビ法典」にワイン取引の記述があります。

ワインが一般化したのは紀元前1500年頃、クレタ島などエーゲ海の諸島に広がってからと考えられ、その後ギリシャ、さらにローマへと広がって行きました。紀元前600年頃にはフェニキヤ人によって、南フランスのマルセイユにも伝えられ、その後、勢力を強めてきたローマ人によって、ヨーロッパ全体に広がりました。このようにヨーロッパではワイン造りの歴史は数千年の歴史があります


日本のワインの歴史

日本のワイン造りの歴史は明治維新になってからです。明治政府は殖産興業政策の一環として、ぶどう栽培・ワイン醸造振興策を加えました。当時、日本は米不足で、米からの酒造りは節減したい意向が強かったのです。

政府はヨーロッパ、アメリカからぶどう苗木を輸入し、山梨県をはじめ各地でぶどう栽培とワイン醸造を奨励しました。明治7年1874年)には甲府の山田宥教(ひろのり)、詫間憲久(のりひさ)がワイン醸造を試みています。当時のワイン醸造の知識といえば、書物や来日外国人からの伝授にすぎず明治10年(1877年)秋、ワイン醸造法習得のため、日本人として初めて土屋龍憲(りゅうけん)、高野正誠(まさなり)の二人が本場フランスに留学しました。

帰国後、この二人に加えた宮崎光太郎は国産最初のワイン会社「大日本山梨葡萄酒会社」でワイン造りに努力します。明治34年(1901年)には神谷伝兵衛が茨城県牛久でワイン醸造を開始し、明治36年(1903年)にフランス様式の牛久シャトーを完成させ
ました。

越後高田の川上善兵衛は明治24年(1891年)に
岩の原葡萄園を開設し、日本の風土に適したぶどうの品種改良に情熱を傾けました。昭和2年(1927年)にマスカット・ベリーAを交配し、日本のぶどう栽培とワイン造りに大きな貢献をしています。明治37年(1904年)小山新助が山梨県に登美葡萄園の造成を開始して、この葡萄園は後に鳥井信治郎が買収しています。

 しかし、本格ワイン(テーブル・ワイン)は当時の日本の食生活に受け入れられず、甘味果実酒の原料ワインとしてワイン造りが続いていました。日本産の本格ワインが少しずつ製造され始めたのは戦後になってからで食生活の洋風化に伴いワインの需要も増え近年は生活習慣病の予防に効果がありますます需要が増えてきている。



HOME