海上自衛隊 少年術科学校 第17期生徒 ホームページ 開設2周年記念
2003年8月30日

爽快仙人のスペシャル訓育
〜 修養の栞 〜

17Th Home1周年記念 修養の栞

                     

 開設2周年を心からお祝い申し上げますとともに、本HPの充実、発展に寄与されました皆様に深甚なる敬意を表します。
修行中の身ながら、1周年に続いて「修養の栞」を投稿致します。




爽快仙人修養の栞4「修行に終わりなし」

 江田島の地は、その佇まいや空気の中に、多くの先人達が流した血と汗と涙の教育の重みが漂っており、中に入ると、背筋が自然に真っ直ぐ伸びる思いを抱いたのは私だけではないと思います。
そんな環境の下で、四季折々の自然を道場にし、多くの仲間と共に修行を始められた我々は恵まれていたと確信しております。
さて、その後の人生を通じ、修行を重ねてきた諸兄は、今いずれの段階にあるのでしょうか。ある老剣士が、修行の目指す所について、次のように述懐しておられます。

@ 下の位は、修行しても物にならない。自分も下手と思うし、人も下手と思う。この段階は役に立たない。
A 中の位は、まだ役に立たないけれども、自分の不足する所が目に見え、人の不足する所も見える。 
B 上の位は、自分のものとし、自慢でき、人から褒められることを喜び、人の足りない所を嘆く。これは役に立つ。
C 上々の位は、知らぬふりする。人も上手と見る。普通はここまでで終わる。
D  更に上の位は、道を極めた人。この人は終わりがないことを知り、足りない所を一生かけて求める。そして、自慢に思うこともなく、卑下することもない。

          これすなわち、一生日々仕上げていくことであり、終わりがないということである。
          柳生宗矩殿曰く「人に勝つ道知らず、我に勝つ道を知りたり。」 (出典不詳)

17期諸兄、自分の能力を謙虚に受け止め、日々修行を重ね、人の足らざる所を寛容し、身をもって自ら求めて学ぶことを教えていきたいものです。

(参考)「男の修行」(山本五十六元帥語録)
    苦しいこともあるだろう
    言いたいこともあるだろう
    不満なこともあるだろう
    腹の立つこともあるだろう
    泣きたいこともあるだろう
  これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である。



爽快仙人修養の栞5「厳しさの中でこそ人は伸びる」「逆境は人を育てる」

 前項で、修行などと固苦しいことを取り上げましたが、我々は、修行という特段の機会を持てる訳ではありません。人生を送る過程で、幾多の苦楽に遭遇して、これを乗り越え、人間として成長していくのでしょう。そして、苦しい時にこそ、その降りかかった運命を恨みに思わず、「厳しさを克服すれば、あるいは逆境に打ち勝てば、道は開ける」という意識を堅持して、事に臨むことができれば、充実した人生を送れるものと思います。言うは易く、行うは正に難しいことであります。

 第85回全国高校野球選手権大会は、常総学院の優勝で幕を閉じました。多くの高校球児が厳しい練習に耐え、甲子園を目指したことでしょう。そして、彼らは、厳しい練習を重ね、厳しさを乗り越えた者だけが勝利を手にすることができることを、身をもって悟ったものと思います。

さて、目下優勝に向けばく進中の「阪神タイガース」の監督、星野仙一氏の某新聞に掲載(平成14年)されました回顧談を紹介します。氏は、中学時代から野球を始めてエースでキャプテン、倉敷商業野球部時代は、岡山三羽ガラスの一人と言われていましたが、甲子園には出場しておりません。
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故郷は、岡山県倉敷市で、姉二人と母子家庭で育ちました。バットやグラブが欲しくても黙っていました。働き詰の母親を見て、子供なりに「悲しませてはいけない」と思っていたのです。これが、反骨精神の原点かも知れません。

ガキ大将で、喧嘩はよくしました。でも「母子家庭だから」と陰口を言われないよう、弱い者いじめはしませんでした。小学校六年生の時、足の不自由な友達を背負って、1年間通学したこともありました。スポーツは何でも得意でした。小学生の頃からプロ野球選手になって母に楽をさせたいと思っていました。岡山という土地柄、本人も周囲もほとんどが阪神ファンでした。目標は投手の村山実さんで、プロになる夢があり、貧しかったけれども、心は豊かでした。

65年4月、明大野球部の合宿所に入りました。そこで出会った島岡吉郎監督は、父親を知らない私にとって、唯一オヤジと呼べる人でした。「厳しさと激しさの中でこそ人は伸びる」という指導哲学を叩き込まれました。

合宿所では、夜明け前から起き出し、練習に次ぐ練習です。手を抜けば、全員が正座させられ、オヤジのゲンコツやビンタが飛んできます。パンツ一丁で明け方までマウンドで正座させられたこともありました。「グランドの神様に謝れ」と何度も地面に頭をつけさせられました。オヤジも一緒に正座していましたから、足を崩すこともできません。

4年になって主将に指名されましたが、合宿所の便所掃除が日課でした。「上に立つ者ほどつらいことをやれ」というわけです。まさに率先垂範で、私の手抜きを見咎めたオヤジが便器を磨きだしたこともあります。殴られるより効きました。

このように、礼儀作法からチーム運営、戦力分析、野球人としての私の基盤は、かなりの部分をオヤジに負っています。

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この島岡・星野の両氏は、卒啄(「卒」とは孵化しようとする雛鳥が卵の内側から殻を突くこと、「啄」とは時を同じくして母鳥が外側から殻を突くこと。)という言葉に相応しい師弟と思います。卒啄という言葉は、教える師と学ぶ弟子の相互作用によって人は育つことを示しています。



爽快仙人修養の栞6「健康第一に」

 人は病気になって初めて健康の大切さを知ると言われるように、概して、若い時や元気な時は不摂生するなど、健康に気をつけようという意識に欠ける人が多いのではないでしょうか。頑健と言われる人程、その傾向は強いように感じられます。このHP上でも、それぞれ病と闘いながら健気に人生を送っている友が紹介されています。

最近、健康に関する書物も多く出回り、涙ぐましい体験談も紹介されています。その中に、「人の一生は重荷を背負って遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足無し。」(徳川家康の処世訓)を心の支えとして病魔と戦っている方もおられました。

 健康について、いつも思うことは、体のことは、当の本人しか分からないということであります。誰も代わりは務められませんし、本人がしっかりと管理しなければ、その成就は覚束ないということであります。

家族や周囲の者に心配させまいと気遣い、早期受診を敬遠することが、却って、愛する人達を更なる苦悩の淵に追いやることは、往々にして見かけることであります。

17期諸兄、自己の健康状態を(年齢も)謙虚に受け止め、併せて家族の健康にも留意し、まずもって病気にならない予防対策を、不幸にも罹病した人は、早期治療、健康管理を確実に行い、与えられた環境の中で、家族共々人生を爽やかに送りましょう。