17期バナー


           


2001年  17期同期諸兄はどんな年だったのだろう。 苦しいこと、辛いこと、楽しかったこと いろいろあろうが、当17Th Home は 楽しかったこと、嬉しかったことにしぼってメールを募集した。以下はその内容だ。お互いの喜びを分かち合おうではないか。前向きに2002年を迎えようではないか。・・・・我々17期は”イキアシのある奇数期なのだ。



 

 番上隆幸
   番上より謹賀新年

       2002年1月1日 19:20
アンチュウへ
明けましておめでとうございます。 年末の「2001年の出来事」というメールに返答せず申し訳ありません。掲載されていた誰かのメールにも書いてあったけど「良かったこと、楽しかったこと」を捜すのは難しいですね。確かに、自分なりに辛い・苦しいことが多かったかも知れないけれど それを忘れさせてくれる自分の周りの人達 家内・子供達の明るさに生かされていることが「良かったこと」のような気がします。「歳をとって出来た子供は、人生を二度楽しませてくれる!」という言葉を実感しています。(6歳の双子の子供達)私は、マスオさん生活を送っており 義父が寝たっきり状態なので、子供達は本当に「いい薬」になっていると感じます。私は、同期会の時に言ったように「自分自身は好きな人生を歩むことが出来た」と思っています。だから、自分自身で命を絶つ事以外は怖くないのかもしれません。 勿論、自分の分身もいるし・・・・。自衛隊の時には、命なんか賭けていませんでしたが今の方がよほど命がけで仕事をしているような気がします。だから、「人の足を引っ張らない」というのが これからの仕事・人生での目標です。若い子でも、「向上心・好奇心」のない子はどんなに頑張っても育たないと思います。だから、そんな人間の抜けている部分を補うことが自分の仕事と思い頑張っています!アンチュウの苦労からしたら、私はまだまだ楽してます!会社の仕事も一年一年が勝負と言い聞かせ、決して「守勢」に転ずることなく向かっていきたいと思います。  2002年新春


 中川一敏
  2001年の出来事
     2001年12月31日 11:24
遅くなってごめん。小学生の頃、2000年が21世紀の始まりだと思っていた。20001955=45。 45歳! 親父よりも年上になった自分などとても想像できなかった。手塚治の世界。空飛ぶ自動車が駐車違反の切符を切られ、街のみんなが銀色の全身タイツを着ている。さて、2001年は経済的に非常に苦しい1年だったのだが、良かったことを書くのが教官室の命令なので私の楽しい2001年を振り返ってみる。暮れのおしせまった12月になって私のスポンサーが出資してくれることになり来年早々に蒲田で不動産会社を開くことが出来ること。なんといっても17期の同期会に出席できて多数の同期に出会えたこと。こんなところかな。今年も来年こそはと思わなくては行けない年になってしまったけど、本当に来年は飛躍した年になるようにがんばろうと思っています。17期ホームページを見ているとアンチュウも色々大変だなと思うけどお互い生徒出身者として誇りを持ってがんばろう。今日は飲みが足りなかったみたいだ。ごめん。もし出来るなら俺のイーメールアドレスを公開してくれ。じゃまた。

Tathuya Noda

   2001年の出来事
       2001年12月28日 15:15
ずいぶんとご無沙汰ですが、精力的に頑張ってますね。17期のホームページも見せてもらいました。君とは、部隊実習も同じ佐通だったし、学校でも存在そのものが、俺なんかに比べるととても光っていたと思います。だから、君のことは、ほんとに良く覚えています。あまり目立たないように生きている俺としては、「取り立ててこんなことがありましたー。」みたいなことは、何もなく平穏な年だったと思います。まあ、それが1番良かったといえば言えなくもないかも知れません。我が家の話をすれば、カナダ留学に行った高2の息子が無事に帰国したことぐらいです。後は、当然のように俺の病気が、またすこし進んだことですかね。ところで、橋本と、西郡のアドレスを知っているようですね。良かったら教えて下さい。
こないだ厚木でやった同期会の話もHPに掲載されていたようですね。俺は、酒を飲んじゃいけないんで、ウーロン茶を飲みながらみんなと語ってきました。厚木の同期会の参加者名   佐々木(鉄)、竹下、水川晃、大田(哲)、山本一美、石塚一石、舟澤、中川、伊賀隆、山下孝、そして自分の11名
来年の関東地区の生徒同窓会は、21期主催で、3月16日(土)  「KKR ホテル東京」であるようです。  この頃、通信部隊の組織改変で、むちゃくちゃ忙しい時期だと思いますが、なんとかやりくりして参加しようと思っています。    それじゃまた・・・・・     by   Noda


  takeshita kazuya
     2001を振り返って
      2001年12月27日 20:10
新コーナー ”17期2001年” として、別立てでの開設=グッドアイデアですね  ホームページの中でも、サークル的要素を持つ「17期HP」には、もってこいのページだと思います。 と、言うことで私の1年ですが、入隊31年目に突入した2001年は、いろんな面で節目の年になりました。それでは私の「マイベス2001」を紹介しましょう

7位:携帯電話でメールを始めたこと(今まで女子高生をばかにしてたけど、結構便利で安い)
6位:太ったこと(昨年買ったズボンが、もう入らない)
5位:厚木基地に所属する先任伍長11名中、吉原が入り4名になったこと(発言力倍増?)
4位:米国テロ事件で厚木基地警備の仕事が増え大変になったこと(俺たちも警備している)
3位:30周年同期会で皆に逢えた事(特に美代子先生の話は感動した)
2位:パブリックのゴルフ大会でベストグロス75を出し、協会のHCが5になったこと(限界だ?)
そして1位:准海尉に昇任したことです。
「生徒しか経験できない3等海士に始まった自衛隊人生、ひとつひとつの階級を全て経験していきたい」これが私のポリシーです。早く幹部になった同期も偉いけど、こつこつと頑張っている同期も、やめたけど頑張っている同期も、みんな優秀だと思っています。安中も頑張ってください。来年もよろしく    竹下和哉

  hashimoto
    私の2001年
      2001年12月27日 19:18
45才で新世紀を迎え、他に供する資質もこれといって持ち合わせておらず、自慢できる趣味も無く、一心不乱に会社を軌道に乗せるべく粉骨砕身努力し、万事憾みなく12年が過ぎた。その正月、実家へ出向いたとき、ふとどこからともなく流れてくる懐かしい奄美の島唄と三味線の響きにほろ酔いも助長してしばし足をとめ聴き惚れた。まさに奄美のひびきそのものだった。初春6日、専門店の初商いの日に小遣いをはたいて初めて蛇味線を手にした。以来、今日までやむを得ない日を除き1日たりと稽古をかかしたことがない。人の親となり、地域社会も少しみえ、振り返ったとき、45才にして小生にとっての終生の友となるものを見つけることができた。島唄(奄美では奄美民謡を総称して島唄という。歌詞はほとんどが叙情詩)を覚え、奄美三味線を覚え、奄美の歴史を知り、勉強し、なにか後世に残すことができたら・・・と。おそらくは活動できてもあと20年。間に合って良かった。実感である。没頭した小生の新世紀。
追伸  中川一敏のメールこころを打つ。     同期会の写真も拝見した。     いつか会える日を楽しみに。

  Ujino.Y
    新コーナー開設!
       2001年12月26日 22:20
久しぶりにメールする。いつも17th Homeの管理人ご苦労様です。誠に敬服する次第です。先般はJCGによるNCの不審船撃沈事件。引き続き日本海での不審船騒ぎと、せっかく休みに入ったのにドッキリさせられることばかりだ。さて、リクエストの件。
(よかったこと)
先般の丹後半島沖の事件が不審船でなかったこと。危うく緊急出港するところだったから。
(楽しかったこと)
年初に准尉講習で同期(窪田・藤竹・松島)4人で約2ヶ月呉教で生活したこと。松島とは生徒卒業以来の再会であった。
(わるいこと)
小生、今年いっぱいまで天誅殺である。今では笑い話ですませられるが、夏のボーナスをもらった次の日、定額満期金の一部160万円と今年初めに買ったノートPC・デジカメのケーブル・重要ファイル(自衛隊関係ではない)・老眼鏡(^O^) etcをアタッシュケースごと取られたこと。汚い話、ゲロが出そうになった。盗難届むなしく未だ出てこない。従って、年末or年始旅行はなし。来年からは上昇機運。ガンバルぞ!            以上です。
ということで、本日年賀状を発送したし、明日は大掃除パートUで家にいます。よいお年をお迎えください。お元気で!     舞鶴 −氏野−
PS:メルアドをこちらの方に変えておいてください。あっちは来年早々にクローズ予定。


  西郡尚生
     2001年の出来事
      2001年12月25日 14:15
1 よかったこと。楽しかったこと。  無事になんとか”1年”を乗り切ったこと。
2 せつない、くるしい、わるい      国の歳出削減で、各方面厳しい状況と思いますが・・・。特に公共工事について、厳しい見直しがされております。当社は、大部分公共工事のため、例年に比べ相当厳しい状況となっております。通信関係の皆様のご支援ご協力をお願いします。ただし、艦船航空機内の通信設備は取り扱っておりません。ごめんなさい。
17Th Home は、頻繁にみるようにしている。感想 同期諸君そんなに飲み歩いて、”税金”の無駄遣いはやめろーーーー!!
保安庁の司法警察員が撃たれたぞ!!! 先頭第一 日本国民の楯となれ!善良な納税者に対する義務を忠実に果たせ!なんてね

  藤原
      2001年の出来事
       2001年12月23日 23:55
うーん、良くない事は沢山あるけど、良いことは…?でも3月末の同期会はやはり楽しかったし、現役も退職組もみんなそれぞれガンバッテいるから自分も元気付けられる。満開の桜に降る雪も見れたし、15年振り位に東京の友達にも会ったし、本当にいい時を過ごせたと思うよ。それにリストラもされず、元気でこの1年働けたという事は、この不景気な時期にあって本当にありがたいことだとおもう。              それと臼井が行ったそうだけど無事任務を終えて元気で帰って来るよう応援し、祈っています。みんな来年もガンバロウ!


  安中均
      2001年の出来事
       2001年12月23日 23:07
げんきか?  17Th Home だ。今年もあと残りわずかになった。そこで 今年の君の一年を振り返って、よかったこと、楽しかったこと愉快だったことなどをおくってくれ。17Th Homeの 徒然草に掲載したい。お互い よかったことは 素直に喜びを 分かち合おうではないか。17期を力づけるメールを待っている。逆のせつない、くるしい、わるい、の 反対のことは、自分の胸と、アンチュウへのメールで解消しよう。内容によっては、17Th Homeに掲載するが そのときは、本人の了解を得た上で掲載するから安心してくれ。      アンチュウを信じてくれ。

アンチュウの今年2001年のできごとは、いろいろあったが、大きな変革として、16年頑張ってきた 電気店を閉じたことだ。17Th Homeの定時連絡の9月5日のところにも記載したとおりだ。しかし、それがきっかけで、この17Th Homeが存在する大きな理由にもなったことは、アンチュウのこれからの人生にとって大変、喜ばしい・すばらしい・ありがたい・なにものにも変えがたいことに、いまさらながらに感謝している。
今、君は、当たり前のことだが、それなりに生活しているだろうし、別に 同期がどうしているだろうとか、アンチュウがどうしているかとかは当然ながら、考えて毎日を送っているわけではない。・・・・当たり前のことだ。
しかし、君を思うアンチュウが新潟で暮らしている現実もまた、現実としてあるのである。君がそう思おうが思わずにいようが君の、存在自体が、アンチュウの毎日の生活にそれなりの影響を与えているのも事実である。それは、アンチュウばかりでなく、君を思うすべての人々の心の中に君は生きているのである。     存在自体が、大切なのだ。

存在の明しとしてのメールを 当、17Th Homeは、待っている。