「妖精の日」から、1年。

ペチカは雨が好きになった。
1年前までは、寒いし、濡れるしでむしろ大嫌いだった雨。
それが、フィツが最後にかけてくれた虹を見てからは好きになったのだ。
雨が降ったあとは虹が見られるから。――フィツを思い出すから。

目をつむると、まぶたの裏にやきついているちっぽけなフィツの姿がよみがえる。
今でも鮮明に思い出せる。
フィツは、あの日と変わらぬ笑顔をたたえてペチカを見つめていてくれる。

「忘れてない」

ねえ、フィツ。

あのときの虹は、きれいだったよ。

「99年たったら……会おうね」

うれしくなって、目を閉じたままほほえみながら、ペチカは言った。
「会えるね」
フィツはただ笑って、ペチカを見ていてくれた。

今はそれだけで。
 

夢の終わりに
 

「そんな体でそんなことしたら、死んじゃうよ!フィツ!やめて!」

人間の、小さな女の子が泣いている。

「今だって私、世界なんてどうなったっていいって思ってる! 」
「私はフィツが生きていてくれる方がいい!!」

僕のこと心配してくれているんだ――ああ、この子は……

誰だったっけ。
 

――長い長い夢を見ていたような気がする。
フィツは目を覚ました。
ひどく重たくなってしまったまぶたをあげると、あたりに満ちた光に目がくらんだ。
けだるげな体を起こしてみようとするが、なかなかうまくいかない。
(はやく起きなきゃ。誰かに呼ばれている気がするのに。誰か、大切な人に――)
そうこうしているうちに、かたわらに座る人物に目がいった。
「おお、フィツ。目を覚ましたか。おまえもたいした無茶をするもんじゃ」
「---さま……?」
「100年よう眠っとった。気分はどうじdゃ?」
フィツはうつむいてうめき声をあげる。
「……100年も……」
100年間、きっと僕は呼ばれていたんだ。けど動けなかった。
こんなところでぐうぐう眠っていた。くやしいけれど、それは
間違いない。
長いひげを生やした妖精は、にっこり笑って言う。
「しばらく安静にしとるがよいぞ。あれだけ大きな虹を作ったとなれば、さぞ自慢になるじゃろうて」
妖精の言葉を聞いても、フィツはうなだれた頭を上げようとせず、考えこんでいた。
「どうした?うかない顔をして。具合は良くないか?」
「何も思い出せないんです……」
(頭が痛い、頭が痛い…何も、わからない。だけど、)
頭を抱えて、フィツは黙りこむ。その様子を、長いひげを生やした妖精は静かに見守る。
「記憶なんぞ忘れても差し障りのないものじゃろう。さあ、まだ眠った方が良いぞ」
節々が痛みまだ言うことのきかない体を起こして、フィツは歯を食いしばる。
「寝てなんかいられない」
フィツは胸をつきあげる悲しみに支配された。悔しかった。何かを忘れてしまっている自分に腹が立った。
「きっカdと忘れちゃいけないものだったのに!」
視界がにじんでくるのもかまわず、フィツは続けた。
「忘れてはいけない誰かが、僕にはいたはずなんです。けど、名前が思い出せない…なんで…」
彼の頬を透明な雫が伝う。何が悲しいのかもわからないまま、フィツは落ちていく涙を止めることができなかった。
「一番大切なことなのに、どうして忘れちゃったんだろう。あの子は……」
『湯たんぽの代わりじゃないよ』
「寒くてたまらないとき、僕をあたためてくれた」
『おかえり』
「優しい声で、僕におかえりって言ってくれた」

会いたい……

「会いたいよ……あの子に――ペチカに、会いたい」

ペチカ。

どうして忘れていたんだろう。
どうして忘れることが出来るだろう、あの子の名を。
こうして名前を口にするだけで、こんなにあたたかい気持ちになれるのに。

かたわらに佇んでいた妖精はおだやかな微笑を浮かべる。こうして見て初めて、フィツは彼がとても優しいひとであることも
思い出す。
「思い出したようじゃな。あの人間の娘を」
あふれdる涙をぬぐって、彼は力強くうなずいた。フィツの眼に強い光が宿るのを見た妖精は、長く垂らした髭を撫でて言った。
「行きたいところへ行くがよい。長いこと眠っていたんじゃ。
しばらくは自由にさせてやるわ」
「・・・・ありがとうございます!」
言うがはやく、フィツは窓から飛び出して行った。100年動かしていなかった羽にもまずます問題はないようだ。
「さて、あの娘が元気でいるといいが――なにせ人間は寿命が短いものじゃから」
みるみるうちに小さくなっていく影を見送って、彼はつぶやいた。

(ペチカはどこだろ?)
休むことなく飛んで飛んで、フィツは地上へと降り立った。その時も頭の中はペチカのことでいっぱいになっていた。
(会ったらなんて言おう、どんな顔したらいいんだろ・・・・・もしかしてペチカ、僕のこと、忘れてはいないよね・・)
ついこの間来たばかりのようであっても、地上は確かな時の流れをその姿に刻みこんでいた。
(100年前と同じ。地上は移り変わるから、美しいんだ)
フィツはパーパスに来ていた。
町はあの惨事の後などみじんも残してはおらず、d以前にも増して活気にあふれているようだった。
「百本の花」のあった辺りを飛び回ってみると、それらしい店を見つけて近づいていく。
「ペチカ?」
店番に立つ女の子の姿が見えて、フィツは自然と胸を躍らせる。ちょうどペチカぐらいの背丈だった。
「だあれ?」
女の子は答えてあたりを見回す。けれどいくら見回しても見えない人影に、今度は声を張りあげて言う。
「お客さん?」
フィツは少女の目の前まで来て止まった。そして顔いっぱいをほころばせる。ペチカだ。そう確信した。
「ねえ。ペチカ!」
女の子は目の前にいる妖精に驚き、目を見開いた。
「妖精だ・・・!ほんとにいたんだぁ」
なんだかかみあわない言葉にフィツは目をぱちくりさせた。そしてまじまじと女の子を見つめていると、どこかペチカと違うような気がしてならなかった。不安になってフィツは尋ねる。
「人間さん・・・名前は?」
「あたし?あたしはね、エミリオっていうのよ。妖精さんの名前は?」
「フィツ・・だけど」
「フィツー!?」
ペチカじゃなかった。興味津々な様子で聞き返されて、フィツはAdがっくりした。
「おばあちゃんの話、本当だったんだ!」エミリオはわっと叫んだ。その様子にフィツはいくらか驚いて少女を見た。「な、なに?」
「ねえ、おばあちゃんに会いたいんでしょう?ていうか、会いに来たんだ!そうでしょ!」
きゃっきゃっとはしゃいでいるエミリオは今考えるとどう見たってペチカに似ていなかった。なんで間違えたりしたのだろうかとフィツはいぶかしんだ。
「僕、ペチカを探しているんだ。悪いけど人違いだったんだし、他のところ探しに行かなきゃ」
そう言って立ち去りかけるフィツをエミリオはむんずとつかんだ。「待って!!」
突然のことにびっくりして言い返す。「痛いよ、放して」
この子に声をかけたりしたのがまずかったかなあとフィツは思い始めていた。
「ごめん、ごめん。だから、ペチカおばあちゃんを探してるんでしょ。会いたいんでしょ?なら会わせてあげる!」フィツをつかんだ手を緩めながらエミリオが言った。
「ペチカを知ってるの?」
今までよりいっそう仰天してフィツは聞き返した。「あたしのおばあちゃんだもの」とエミリオが言う。「おばあちゃん?」
フィツはオAdムレツをくれたおばあちゃんを思い浮かべて、少しだけ悲しくなった。エミリオの言うことはよく分からないけど、たぶんこの子についていけばペチカに会えるんだろう。何で
もいいから、はやくペチカに会いたかった。
「おばあちゃんはね、最近具合が良くないの。だからエミリオ
も静かにしないといけないわ。妖精さんもよ」
「さっきまであんなに騒いでいたのに、よく言う・・」
「しっ、黙って!」ペチカの家へ向かう道を、エミリオは考えごとをしながら無言で歩き続けた。フィツはてっきりエミリオが機嫌を損ねたものだとばかり思って、彼女に同じく無言でつ
いていく。ふいにエミリオが口を開いた。
「ねえ、今度はずっとおばあちゃんのそばにいてあげてね」
何のことだろうと思いフィツがエミリオを見上げたとき、彼女はにっこりと微笑んでいた。あんまり嬉しそうに笑っていたので、つられてフィツも思わず微笑みを返す。こんなふうに笑っ
た顔はペチカに似てなくもないかな、とフィツは考え直した。
エミリオが入っていった家の前にはたくさんの花の鉢植えが並べてあり、家の中も変わらず花で満ちていた。
「お母Adさん。おばあちゃんのお加減、どう?」
さっきとは打って変わっておとなしい声だ。フィツは危ぶみながらも用心してあたりを見回す。ペチカはどこだろう?
「・・うん。まだ眠ったままよ。最近は起きている時間が少ないのよね」
二人の見下ろす先には、ベッドに横たわるおばあさんがいた。
眠っているようだが呼吸も弱々しく、とても衰弱して見えた。
フィツは部屋を見回してその姿に目が向くと、おばあちゃんに似ているなあと思う。フィツの中で思いあたる人物と言ったら、そのひとしか思い浮かばかなかった。
「お母さん、見て。あのね、フィツを連れて来たのよ。おばあちゃんが喜ぶと思って」
母親の目がフィツをとらえる。エミリオの時と同じように、その目が驚きに見開かれるのをさえぎってフィツは言った。
「ペチカはどこにいるの?」
二人は目をまるくしてフィツを見つめた。
「いるじゃない。わからないの?なんで?このベッドで眠っているのがペチカおばあちゃんよ」
フィツはベッドに横たわるおばあさんを見た。
「この人は違うよ。ペチカじゃないよ?」
「ああ、そうね・・きっと、わからなAdいんだわ。エミリオくらいの年の頃にしか会ったことがないと思うの。だから」
(・・・・??)
「さあ、ここに眠っているのがペチカ。フィツは100年間眠っていたけど、母さんはその間も生き続けていたのよ。そして、年をとっていったの。今はもう115歳になるわ」
エミリオの母親はにっこりと微笑んで言った。
「そばに行っておあげなさい」
(ペチカ・・・・?)

今ようやく思い出した。そうだ、人間って"老い"るんだってことを。
ぼくらみたいな永遠の命なんて持ってないんだってことを。
年をとって老いることでペチカは、変わってしまったのかな・・・
ぼくはすこし怖くなりながら、近づいたんだ。
でも――
 

フィツはそっとおばあさんの枕もとに降り立った。
「・・・・ペチカなの・・・?」

戸惑いのためにかすかに発された声は、だが、確かにその答え
をもらえた。
「――フィツ」
ペチカはその日、何週間ぶりかに言葉を紡いだ。
その表情には笑みが浮かぶ。ただペチカは笑って、友人との再
会を嬉しく思った。

――ぼくは馬鹿で。
そんな馬鹿なぼくがペチカが老いてしまったことを、
きみが変わってしまったんだと思ってしまったことも知らずに・・・
ペチカは、ぼくの名前を呼んでくれた。 

覚えていてくれた――!
 

100年の約束は果たされる。

妖精は眠りから目覚めた。
大好きな友達に会うために。

変わりえないその姿で、その声で

少女は待ち続けた。
体に衰えが襲いかけようとも、遥か遠い昔の約束を信じた。
小さな友達の笑顔を忘れないでいた。

変わってしまった姿で、その声で

二人は再会する。

そして、微笑む。
それでもなお、今、変わらない友情を確かめあって。

「おかえり」

「ただいま」
 

言葉を交わして、ペチカは静かに息を引取った。

天国へ旅立っていったのだという。
そう教えてくれたエミリオの母親もエミリオも涙していた。そ
の姿が、ぼくにはなぜだか悲しそうに映った。
友達であるぼくは天国でのペチカの幸せを願うのだ。
どうか、安らかに。どうか、幸せに。
どうか・・・・

祈りは届いているだろうか。

神様。

フィツは安らかに眠るペチカのそばにいて、その幸福から涙をこぼした。


02/06/11..アル様より
100年の約束が果たせて本当に良かったです。もう本当・・・その一言に尽きます。
もうペチカはおばあちゃんになっちゃったけど、それでもフィツのことを覚えてくれてて良かったです。100年の約束は重いのね、としんみり思ったり。
そして「おかえり」「ただいま」が・・・!!!!フィツの帰るところはペチカのところなんですね。たったこれだけの会話だけど、この2人にとってはきっと100年分だったんですよね!
最後、フィツが涙するのが、哀しさからではなく、幸福感からで、良かったです。もう、狂ったように死を恐れていないフィツが嬉しかったりしました。
きっと、このペチカの最後は凄く良い最後ですよね。生きることへの整理が、やっと全て終わった感じで。

アルさんー!!!ステキ文有難うございました!!